酔っ払って記憶を飛ばして二日酔いになって神を呪うことのほうが有意義な理由
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最近は酒を飲んでラリってるときがなんだかんだで幸せなんじゃないかと思ってしまう
なんとなく禁酒が続いていますが、アルコールを摂らなくなったからといって別に幸福度が上がるわけでもないということを実感しています。
むしろ、アルコールを摂らなくなったせいで人と話す機会が全くなくなったため、ある意味では悪影響が出ています。
飲酒は計画的にするべきだけれど、禁酒も無計画に始めると変なところで悪影響が出たというお話。
酔うことはなんだかんだで悪いものではない
基本的に酔っ払っても問題行動を起こさないのであれば、そこまで飲酒の習慣自体は悪いものではないというように感じます。
飲酒は当然ながら胃や肝臓にダメージを与えますが、程々に済ませられるのならば手軽に精神を高揚させる便利な手段になりえます。
どうでもいいことでも笑ったり泣いたりしやすくなるので、感情を摩耗させない手段としてもそこそこ有用なのではないかと思います。
(扱い方がドラッグと変わらない気がしますが、飲める上限がわかっているため危険性は少ないでしょう。多分)
二日酔いになっても何もしないよりもマシである
何もしないという選択を取ってしまうくらいならば、まだ二日酔いで苦しんでいる方がマシな気さえしてしまいます。
無感動で無為な日々を送るくらいなら、まだ二日酔いになりながら「ブッダ・ファック!」だとか「神は死んだ」とか呪いを吐きながら後悔している方がまだ人間的な生活です。
私は基本コミュ障なので、放おっておくと何もしなくなります。
能動的に飲み歩きに外へ繰り出すことのほうが、今のルーチンワーク的な日常よりも楽しい生活であったように思えます。
なんとなくで禁酒を続けていますが、飲酒の習慣は身体的にはともかく精神的にはそれなりに良い影響はあったようです。
まとめ
お酒飲みたい。…違った。
確かに、飲まなくなって多少健康的になった気はします。
お金の減り方も緩やかになりました。
でも、飲むことが楽しいことも事実で、その楽しいと思える生活を捨ててまで禁酒することに少々疑問を持つようになりました。
※ただし、酔って人に迷惑をかけないようにすることは絶対条件
飲み屋で見知らぬ人と話たりすることも結構好きなので、限定的に解禁することも視野に入れてもいいかもしれません。
禁酒も計画的に。
余談
4月の記事はほぼ全て飲みながら書いたので、大半は何を書いたか覚えていません。
どうでもいい余談
何もしないよりましだとか書きましたが、アルコールを飲みながらのスポーツは危険です。
酔った勢いでいきなり走り出して13Kmほど爆走した挙句に足をくじいて帰ってくるのは止めておきましょう。
(本当に、よく帰ってこれたなと思う20代のあの頃)