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勢いでフリーランスになったので、思いのままに記録を残します

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30歳を超えたあたりからは親が死ぬことが現実味を帯びてきた


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ちょっとだけ真面目な話

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あたり前のことだけれど、人はいつか死にます。

その死に方が良いか悪いかは人の判断基準によって違いますが、生きている限りは絶対に関わらざるをえない問題なので考えれるだけ考えておいたほうが良いでしょう。

 

 

去年の5月に祖母が亡くなった

うちの家系では最長寿でしたし、皆どこか覚悟はしていましたがやはりその時が来るとどうしようもない気持ちになります。

覚悟はしていましたが、パーキンソン病だったのですぐに死ぬ至るものではない、なんだかんだでまだ数年は猶予があると勝手に思っているところがありましたので誰にとっても急な最期でした。

ただ、救いだったのは最期は穏やかだったそうです。

 

自身の年齢がある程度を超えると、親しい人の死に立ち会う可能性は飛躍的に高まるということを思い知る機会となりました。

 

家族が大切なら真面目に最期のことを話しておくべき

家族と話せる日数というのは、おそらくは予想している以上に少ないものです。

私の家系で行けば、次に亡くなる可能性が高いのは父でしょう。

仮に祖父と同じ年齢まで生きるとしたら後7年程度、もしかしたらもっと短いかもしれません。

1年に10日会えるとしても後70日しか猶予がないということになります。

祖父はガンでポックリと逝ってしまったので、最期の方まで話すことができましたが、もしかしたら話せなくなる日が来るかもしれません。

そうなると、もうほとんど猶予はないのかもしれません。

忘れてはいけないのは、明日を互いにいきているという保証は全く無いのです。

(まあ、逆に長生きする可能性もあるのですが)

互いに後悔しないためにも、顔を突き合わせて話はしておくべきです。

 

あまり考えたくはないかもしれませんが、少ない場合でも財産が残る場合はその取り決めを思考がはっきりしている間にしておいた方が、不幸になる人は減らせます。

フリーランスで故郷を離れるのであれば家族の死に目に立ち会えない覚悟は必要

個人事業主の辛い部分として、たとえ身内が亡くなったとしても確実な休みを取れるとは限りません。

私も祖母の通夜には間に合いませんでした。

ここらへんは会社勤めの優れている箇所ですが、やはり身内の逝去という大きな節目に規則として休みがあるというのはかなり大きいです。

 

これも忘れてはいけないことですが、自分自身に何かがあってそのまま逝ってしまう可能性も否定出来ないことです。

 

私の場合、会社勤め時代に少なくとも3回ほど命の危機があったので、嫌になるほど思い知っています。

なお、1回は激痛で意識を失う、後2回は薬物中毒、その他にも死んでもおかしくはないことはやっていたので悪くも良くも今生きていることへの奇跡は感じざるを得ません。

 

最近は、遺言書作成キットなどもあるので、思うことがあるならば早いうち且つ暇な時にでも書いておけば良いでしょう。

できれば、恨みつらみを書かずに終わらせておきたいものです。

私の場合は書こうとしたら呪いの辞典になりそうだったので破棄するハメになりましたが。

なんで私は仕事の休み時間に遺言書キットを買ったのだろうか。(サラリーマン時代)

今思うとかなり闇が深い。

 

まとめ

最近は、否応なしに生きるやら死ぬやらに向き合う必要性を感じる様になりました。

ぶっちゃけると命について悩めるのは暇人だけなので、考えられるうちに対処したほうが良いです。

忙しかったり壊れたりすると命はとたんに恐ろしく軽いものになってしまいます。

 

余談

久しぶりに真面目な記事を書いた気がする。

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